西武池袋線の飯能駅周辺にある駅から忽然と駅員さんが消えた。
高麗駅、東飯能駅、仏子駅、元加治駅が2024年4月1日から無人駅になり、駅員さんの代わりにトラブルを解決するためのリモート用の機器が設置されわけだが、なんだかすっかり別の駅になってしまったように雰囲気が変わった。
ウィキペディアで高麗駅を調べてみると、昭和4年9月10日(1929年)に開業したらしい。その年の出来事といえば、いちばん有名なのが暗黒の木曜日、ニューヨーク証券取引所の株価が大暴落して、そこから世界大恐慌が始まった。ロシアのスターリンが独裁体制を整えたりドイツの巨大飛行船ツェッペリン伯号が日本に来たりした。
アンネの日記を書いたアンネ・フランクが産まれたり、身近なところではルパン三世を追い回した銭形警部の声優納谷悟朗さんと石川五エ門(テレビ一作目)を演じた大塚周夫さんが産まれた年でもある。
廃れゆく武蔵台と駅の機械化
そんな昔に高麗駅は誕生した。
歴史的には高麗川駅よりも古い。
開業してから95年後にひっそりと無人化した高麗駅の現在、乗降者数(乗り降りする人数)は平均1800人/日くらいだそうだ。武蔵台から所沢方面に仕事や学校に通う人、巾着田や日和田山にハイキングに来る人、少数派だが秩父方面に行く人がいる。全盛期(平成9年-1997年)で一日平均6000人以上いたと書いてあるので、今の3倍以上あったということ。
ちなみにJR高麗川駅は4600人/日平均が最大値で現在は4000人ほど。
推測ではあるが武蔵台から都内方面へ働きに出ている人が沢山いたと思われる。当時はまだ日高市が遠足の聖地として高麗を広報していたわけでもないし、武蔵台の人たちによる利用が旺盛だったのだろう。
時間の流れは人も街も変えていくし、駅の無人化は西武鉄道だけでなく全国津々浦々で進行していることなので、高麗駅が特別なことではない。しかし、日頃利用している人にとっては大きな出来事である。この記事を書いている僕も週に1〜2回は必ず利用をしているので、駅員さんがいなくなった駅はとても寂しく感じてしまう。
親の有り難みがいなくなって分かるように、駅員さんもまたがいなくなってから存在の大きさに気づいた人も沢山いるのではないだろうか。
高麗駅の今後の緊急対応と街の過疎化
今回の無人化で特急券は買えなくなった。代わりにスマホアプリSmoozでチケットレスで購入できる。スマホ操作が苦手な人は飯能駅の窓口で買うことになる。
切符の券売機トラブルは遠隔機器によって対応してくれるようだ。
電車に乗るまでのサポートが必要な場合は事前に飯能駅に連絡をして、日時を指定することで今まで通り駅員さんが来てくれて介助してくれる。
▼西武鉄道による公式なお知らせと今後の対応
https://www.seiburailway.jp/file.jsp?id=16683
けれども、駅員さんがいない高麗駅を見ると、何だかこの周辺が見捨てられたように感じてしまうのは気のせいだろうか。少子高齢化が進む日本は、あちこちでこんな風景が広がっており、諸国一之宮神社巡りで地方を旅すると、無人駅のほうが多いくらいだ。
最近、80万人の死亡超過(2023年は産まれてくる数よりも死んだ人数が80万人以上多かった)が話題になった日本なので、今後も過疎化は加速していくだろうし、人口減少の流れは止めることができないだろう。佐賀県や山梨県の総人口が80万人なので、たった1年でひと県が消えてしまったことになる。
▼日本経済新聞:23年出生数、過去最少75.8万人 人口は初の80万人超減
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA265GC0W4A220C2000000/
いつまでも昭和気分が抜けない人たちによってこの国は衰退の一途を辿っている。
10年以上ぶりに売店が復活する動き
寂しい話がつづいたが、とても嬉しい動きもあって10年以上も前から閉まったままの売店がカフェ+花屋として復活することは、街の過疎化に逆行するとても素晴らしいニュースだ。
僕が移住してきた2018年はすでに開かずのお店だったが、以前はおにぎりやうどんなどの軽食とお土産が売っていたらしい。今回、この「Komagine」でもお馴染みのCAWAZ baseが主体となってこのお店を復活するために動いている。
経済至上主義という旧世紀の幻想に取り憑かれてる人ではなく、未来につながる豊かさの本質を追求している人たちによって高麗駅から新しい価値が生まれようとしている。
地方の田舎の駅に何十億円(費用対効果..?)もかけて改修するわけでもなく、DIY(手作業)とアイデアで人々を喜ばせようとがんばっている。
廃れゆく流れを呆然と眺めている人もいれば、街に輝きを取り戻そうとがんばる人たちもいる。高麗駅はこれからも僕たちの旅の出発点として、日常の移動を支える要所として存在しつづけるし、これからも多くの人たちに思い出を与えていくことでしょう。
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