3ヶ月前に僕(@ka_zz)高麗noteで書いた「地球はCO2による温暖化ではなく寒冷化して氷河期に向かっている」が思いのほか反響が大きくて、一日80〜100ページビューほど閲覧されている。記事の概要は、太陽の活動によって地球は寒冷化してミニ氷河期に向かっている・・というもの。
世間一般では温暖化という言葉のほうが多く流通しているものの、Google検索ワードで[地球寒冷化][温暖化と寒冷化どっち?]などで、上記の記事に流入してきている。
ということは、地球環境について関心が高まってきていると同時に、温暖化について疑いを持っている人がわりと多くいるということだ。
ただし、この記事で伝えたいことは、地球が寒冷化している、ということではない。そんなことよりも、もっと大事で切実なメッセージを僕は伝えようと試みている。
それが、地球環境の変化に対応するための具体的な方法についてだ。
地球は温暖化しているのか?それとも寒冷化しているのか?
CO2の排出による温暖化にストップをかけよう、と盛んに叫ばれている。かと思えば、現在地球は寒冷化しており、ミニ氷河期へ向かっている、という説もある。僕自身は寒冷化に向かっている説を支持しており、それに向けての対策を個人的に始めている。(寒いのが苦手なので)
ストップ温暖化は、CO2の排出を削減して実現させようと、世界中の政府と企業で目標をかかげ、様々な取り組みをしている。しかし、現在の経済システムの欠点は、モノを作りモノを買わせることで社会が成りたっていることである。そして、経済成長という概念があるかぎり、大量生産と大量消費による地球環境の破壊は、確実に進行していくだろう。
▼地球寒冷化について書いた記事
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20世紀から21世紀にかけて、人類が築いてきた大量生産と大量消費は、僕たち人間の限りない欲によって、何十億年かけて地球と自然界が築いてきた生態系と環境を、たかが100年足らずで食い荒らしてしまった。何百、何千種類という動植物が姿を消していくなか、自然界がもつ浄化作用を遥かに超える地球資源の消費によって、取り返しがつかないギリギリのところまで来ている。
個人的な考えを述べると、人類は滅亡へ向けて一歩ずつ着実に進んでいる・・と、かなり悲観的ではあるが、僕なりのリアリズムでそう思っている。その理由は、環境破壊が原因も含め、ブッダの時代から争いは絶えず、2500年たった現在も人間界そのものの(精神的)成長がないからだ。
これについては、また別の記事で書かせていただくとして・・
温暖化であれ寒冷化であれ、それを解決することは個人の力では不可能だ。CO2の削減は、全世界の人間が一致団結すればうまくいくかもしれないが、現状、足並みがそろうどころか、過剰な生産と消費は激しさを増していくだろう(今後、13億人をかかえるインドが急成長すればさらに地球環境は消耗する)。
しかし、太陽の活動が密接に関わった寒冷化については、人間がどうあがいてもコントロールできないのである。神と宇宙の意志によって、僕たち地球人の運命は握られているのだ。
一個人が生活レベルで出来ることはライフスタイルの変革しかない。
東北大震災以降、原子力発電から自然エネルギーへのシフトが実現すると思われた。しかし、ある程度予測されていた原子力の既得権益側の抵抗は、思っていた以上に激しく(特に日本は)新しいエネルギーへのシフトは、まだまだ当分先となるだろう。
近年、全国各地で問題となっているメガソーラーは、太陽光パネルによる発電がすでにコンテンツとして終了していることを意味している。つまり、しばらくは(10〜20年)原子力発電や火力発電といった、莫大なリスクをともなう古い技術によって人類は生き延びなければならないわけだ。
3.11の大震災直後は、復興の名のもとに、日本全体が節電をして消費を控えたが、ほとぼりが冷めないうちに、夜のネオンは復活し、大量生産と大量消費が復活してしまった。そう、僕たち人間社会は、あれほどのインパクト(大災害)を経験しても、欲を抑えきれないのだ。
社会が、大企業とマスメディアに支配されている限り、一般消費者の欲をあおり、モノを買わせる旧時代のシステムはなくならないだろう。それならば・・!
僕たちひとりひとりが生活そのものを変えていく以外に方法はない。
資本主義経済とか経済至上主義とか、呼び方はいずれにしても、大量生産と大量消費の人間歯車から抜け出して、新たな価値観とライフスタイルを手に入れることが、人類がこの地球で生き残るための大きなカギになるだろう。
「消費よりも、循環と生産をする暮らし」
それも、環境に負荷がかからないやり方で。
さらに言えば、既存の暮らしよりも楽しく、無駄な消費をしなくても心豊かに暮らせるスタイルを、僕たちひとりひとりが模索し、行動し、構築していく。そのための社会実験的試みがトランジションタウンでもあるし、パーマカルチャーの実践でもあるわけだが・・僕個人の話をすれば、まだまだ入り口に立ったばかりで、自分の暮らしがはまだまだ古い経済システムへの依存度が大きい。
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そんなわけで、長くなったのでこのつづきはまた次回に。
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