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「日高市にミュージアムを」高麗神社宮司 高麗 文康

「この街には何もない」

少し前まで日本各地で頻繁に使われたご当地によせる住民の言葉である。もちろん日本人らしい謙遜もあろうが、地方創生ブーム(?)の影響からか、近年聞かなくなったのは良いことだ。

何もない、とは「荒漠たる原野」のことだろう。

それでもなお、ないものはある。

もちろん近隣市町村で補えるものならそれでも良いし、市民サービスに属することなら、行政は市民の声を取り入れやすいだろう。一方で生活に直接必要なものではなく、近隣市町村に頼ることもできないが必要に思えるものがある。

それは、日高市そのものの紹介である。

筆者は生家と家業の兼ね合いから、当地の歴史の一部を伝える活動に関係してきた。活動に充実感はあるが、歴史だけでは不足とも感じた。それはあるアンケート結果を見た影響でもある。

それによると、日高市を訪れる人々が最も印象に残るのは当地の自然で、実に6割の人がそう答えている。筆者が関わってきた歴史分野をダブルスコアで圧倒していた。もちろん、当地の歴史に対する地元及び周辺住民の関心は高く、現在でも歴史分野の講座には多数の人が詰めかけてくださっている。

しかし、週末ともなれば、更に多くのハイカーが日高市の山や川を目指して参集していることも事実である。そうした人々の全てが、ことさら自然の事象に関心があるわけではないし、中には汚して帰る人々もいる。しかし、必ず一定の人々が当地の自然を愛で、貴重だと評価し、もっと知りたいと思っていることも間違いないだろう。

にもかかわらず、筆者は当地の自然の有様について、広く詳しく解説した事物を知らないのだ。

日高市はどんな地勢で、どんな植生で、どんな動物がいて、どんな食物の栽培に適しているのか。生まれて以来暮らしているが、持ち合わせているのはほんのわずかな知識だけである。

時折、物知りに、断片的な知識は刷り込まれるが、それを生かせるのは茶飲み話くらいだ。もちろんこれは個人的な努力不足によるものだが、訪問者と住民の意識の差もあろう。路傍を見渡せば市民には呪力を失って久しい石碑が、これぞこの地の象徴と、かつての呪力に劣らない価値を訪問者に見出されることもある。

市民の日常生活には関わらない自己紹介を、訪問者は求めているように感じる。

やはり、日高市には博物館が必要である。

とは言っても、既存の施設の再利用は不適に感じる。博物館であれば、資料保存施設は必須だからである。そうなれば当然それなりの施設の建設ということにしかならない。まともに取り組もうとすればハードルははじめから高いのだ。

しかし、博物館の役割の一部を担う手段であれば、知恵はありそうだ。

不肖筆者でもインターネットミュージアムには実現の可能性を感じる。ネット空間であれば、広範囲の分野について、求める人々に広く発信ができよう。日高市の何かを目指し訪問する人々が、予習したことを現地で確認し、より深い認識や愛着を増進することも可能だろう。

こうした取り組みは「遠足の聖地」で一日を過ごす、市内外の児童生徒にとっても有益な教育の機会を提供するはずだ。日高市を愛し、大切に思ってくれる人づくりに資するとなれば、多少の予算を費やす大義はあると思う。

 

▼山口じゅんさんと高麗宮司による連載「高麗の歴史」
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▼高麗 文康 宮司の著書(共著)

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高麗 文康

高麗家60代目当主 / 昭和40年代生まれ / 埼玉県日高市出身・・バブルに浮かれ危うくドロップアウトしかかるも、絶妙なバランス感覚で持ちこたえ、なんとか高麗神社の神主となる。合気道5段。

  1. 「渋沢篤太夫と渋沢成一郎」高麗神社宮司 高麗 文康

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