この時代だからこそ求められるgreenなライフスタイル。
農的暮らしをベースとした、パーマカルチャーの実践仲間と作る、ゆるーいコミュニティを仲間と一緒に畑を耕しながらはじめてます。耕作放棄地や遊休地を、食べられる景色に作りかえながら、あわせて畑に作るかまどのあるコミュニティキッチン。
人が集まる真ん中に焚火と美味しい食べ物がある、コミュニティーのベースとなる場作りを、地域の資源を生かし地元の方たちともつががりながら創っていく、ワクワクする明日を創る。
そんな暮らしをしている人たちに出会ったのはもう25年以上前のこと・・・
その頃は環境問題、森林破壊についてとても胸を痛めていて、自分たちの暮らし方が、海外の環境破壊や貧困問題につながっていることを、いろんな事実を知れば知るほど、自分では何が出来るのかを模索しながら、海外のコミュニティーやスタディーツアーに参加したり、日本国内の自然農の農場やいのちの祭りに参加したり理想の仕事と暮らし方を探していた時だった。
マクロビオティックやベジタリアンの食生活にシフトしていったのもその頃からだった。自分で出来る、普段の暮らしの中で出来ることを探していた。
そんな中で、ヨガの合宿に参加した時に、はじめてパーマカルチャーの言葉を聞いたのは、一人の青年海外協力隊としてルワンダに赴任していた女性隊員さんからで、乾いた土地を食べられる森にして、貧困をなくしみんなが、豊かに暮らせるようにする為のデザインだと話してくれた。
オーストラリア、ニュージーランドでパーマカルチャーを習い実践されて、ルワンダの貧困と紛争問題を、荒れた土地を食べられる森に創りかえることで、問題を解決することがパーマカルチャーの活動目的と語ってくれた。
短い時間の中での話しだったけど、すごくワクワクする活動だなぁと思っていた。
元々都会育ちだったけど、植物に触れるのが好きだったので、家のまわりだけでは収まらずに、駐車場脇や道端に勝手にヒマワリやとうもろこしの種を撒いたり、河川敷を耕して不法耕作ゲリラのようなことをやっていた。
94年にオーストラリアで、瞑想とヨガを習っていた団体が主催するAnandaMela festivalというイベントに参加した時に、ロビンフランシスというパーマカルチャーデザイナーで、パーマカルチャーのコンセプトを基にした都市開発や、コミュニティー作りのコンサルタントや、パーマカルチャースクールの校長をしている方の基礎口座に参加。
その際に、パーマカルチャーコミュニティの様子や、先住民の為のコミュニティデザインや、マンダラガーデンを紹介してくれた。
その後、オーストラリアやニュージーランドの、パーマカルチャー実践地のコミュニティを訪ねたり、植林ややバナナを植える手伝いをしたり、ダムの水や雨水を利用して、野外のバナナ畑の中で浴びるシャワーがとても印象に残っている。バナナ農園の山の上に置いてある、キャンピングカーに泊まり電気が無いので、真っ暗な中、焚火で沸かして淹れたコーヒーがすごく美味しかった。
その翌年の95年にちゃんと学んでみたいと思い、ビルモリソンのPermacultureinstituteで、二週間のデザインコースを受ける。
30人程のメンバーだったが個性豊かなメンバーばかりで、森林局やランドスケープデザイナーや建築家など、専門的な仕事をしている人も何人もいて、中にはルワンダ政府の役人の中に兄弟がいて、その政策の中にパーマカルチャーのコンセプトを入れたいと思って参加したルワンダの人もいて、いろいろと刺激を受けた。
セミナー中の内容よりも、参加メンバーが実際やっていることの話しのほうがすごく盛り上がり、ひとつひとつのシーンを今でもよく覚えてる。
ランドスケープデザイナー・森林局の職員・アボリジニのガーデナー・銀行員・画家・不動産・料理人・学生、、職業は様々だが、かなり個性的なクラスメイトだった。毎晩夕方の後は、湖のほとりで各自明かりとビールと打楽器やディジュなどを持ち寄りセッション。その後は明け方近くまでおしゃべりで毎日すごく楽しい時間を過ごしてた。
その後は、そこで出会った友達の家を訪ねたりコミュニティを訪ねたりとか、アデレードでパーマカルチャーのカンファレンスもあったので参加。クラスメイトも何人か参加していて、同窓会のような感じになりまた盛りあがる。
そのイベントと合わせて、World music festivalもやっていて、日本でやっている中規模の野外フェスのような感じで、芝生でくつろぎながら好きなステージを渡り歩く感じで、この時はアフリカやパキスタンなどのイスラム系のアーティストが多かった印象。ヌスラトファティアリカーンに衝撃を受けてしばらくそのフレーズが頭の中で回っていた。
会場のご飯もバラエティー豊か、ベジタリアンメニューも普通にある。
デザインコースで出会った友達が、ジュース屋さんで出店していたり、ここでもまたいろいろとつながりを再確認して、ひとりで参加してたけど常に誰かと一緒だった。
そんなつながりで翌年の96年は、ネパールでパーマカルチャーのコースをやるので来てみたら、と誘われたのでネパールへ。久しぶりに会ったオーストラリアの友人は、出会った時と同じカエルのTシャツで登場。
ネパールは元々農家が多く、山の暮らしでは身のまわりのもので、何でもまかなう素材と知恵があるので、パーマカルチャーを知らなくても普通に循環する暮らしをしている。そのベースの上にパーマカルチャーの事を伝えると話しが早い!作業する時も、リーダーが声をかければみんなで作業してすぐにかたちになる。家を作るのも石と土、木や竹、日干しレンガや素焼きレンガで、わりと身近に手に入るもので作っている。土のかまど、薪のご飯、こちらが見習いたい事のほうが多かった。
ネパールでのコース参加者の3割はINGO所属のヨーロピアンや英語圏の人、一般のネパール人には、参加費が高額でなかなか個人では参加出来ないので、やはりNGOや団体職員の参加がほとんど。
モデルファームもいくつか訪ねて見せてもらって、海外ゲストも多いからなのか、ネパール国内にはない果樹やハーブなどもいろいろと栽培していた。日本の梨やブドウやりんごもある。
その時は意識してなかったけど、麦畑や道端に普通に大麻が生えている。
ネパールからのお土産として、手編みの大麻(ヘンプ)の帽子と財布をお土産で買ってかえるところから、今の仕事(ヒマラヤンマテリアル)につながっている。
そこからヘンプの可能性をいろいろと知ることになり、パーマカルチャーのコンセプトである多機能性、衣・食・住・環・医などの人の暮らしのニーズを満たし、自然環境にもいい大麻(ヘンプ)のすばらしさを知り、大麻を使ったネパールの雑貨をメインの仕事として取り組む傍ら、ネパールで植林、生活林を作りをしているヒマラヤ保全協会に関わり、苗畑作り手漉き紙作り、野生の繊維から織物作り、スタディーツアー、エコトレッキングなどのコーディネーターとして関わることになる。
いろいろと長くなったけど、きっかけは、
「食べられる森を作るパーマカルチャーの活動」
それを実践する仲間をパーミーズと呼びます。
仲間が集まれば出来る事も増えるので興味ある人一緒にやりましょう。
はじめての人は基礎口座やります。実践の場を一緒に作ります。
パーマカルチャースピリッツをしっかり伝授して、どんどん実践しますので、自分たちの豊かな暮らしを作っていきましょう!
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