なかなかこちらのシリーズにもどることができなかった。
ぼくにとっては、「トランジションへの道」というあまりにも大きな現実を前にして、自分の身体と自分のことばの距離のとり方を測っていくために、詩のシリーズが必要なのだと思っている。
予告では、トランジションへの道は半世紀前から始まっていることを書くといっていたが、今回は別のことを書きます。
カズオ・イシグロとパオロ・ジョルダーノの公開対談
もう何年にもなるが、新聞をていねいに読むという習慣がなくなっている。しかし、最近、少し新聞を見ていこうと思い、切り抜きも一週間ごとにまとめて、やってみることにした。
早速、収穫があった。
– 6月13日(日曜日)朝刊 朝日新聞(購読紙は朝日。時々毎日新聞などほかの新聞をコンビニで買う)
日曜に想う 郷冨佐子 〈フィクションと科学が交わる時〉
英国のカズオ・イシグロとイタリアのパオロ・ジョルダーノの公開対談にふれた論説委員の記事。文学という仕事がいまどういう情況に出会っているか、二人の対話から伝わって来た感動をもとに書かれている。対談の冒頭、ジョルダーノがイシグロに言う。
「コロナ危機が始まってからずっと、私はフィクションと関わる気になれませんでした。でも、あなたの新作で、また戻ることができました。」
カズオ・イシグロの新作『クララとお日さま』はAIである少女が主人公だと言う。ジョルダーノは大学では素粒子物理学を専攻し、今は文学を仕事にしている人で、昨年書いた『コロナの時代の僕ら』が世界的に注目されているという。
〈フィクションと科学が交わる時〉は今の世界情況において、科学の役割の大きさは誰もが認めるところではあるが、それを人間の側に引き寄せてとらえなおす仕事が必要であるという認識から書かれている。現在の課題にしっかり照準していて、眼を開かせられる。
サー・カズオ・イシグロ(Sir Kazuo Ishiguro OBE FRSA FRSL・漢字表記: 石黒 一雄 1954年-)は、長崎県出身の日系イギリス人小説家である。1989年に長編小説『日の名残り』で英語圏最高の文学賞とされるブッカー賞を、2017年にノーベル文学賞を受賞した。Knight Bachelor。ロンドン在住。
パオロ・ジョルダーノ(Paolo Giordano)1982年伊国トリノ生まれ。トリノ大学大学院博士課程修了。専攻は素粒子物理学。2008年、デビュー長篇となる『素数たちの孤独』(ハヤカワepi文庫)は、人口6000万人のイタリアでは異例の200万部超のセールスを記録。同国最高峰のストレーガ賞、カンピエッロ文学賞新人賞など、数々の文学賞を受賞した。
郷 冨佐子(朝日新聞社シドニー支局長)
https://www.asahi.com/sns/reporter/go_fusako.html
加藤 周一「科学と文学」を現在の哲学として読む
4月から始めている今年度の「思想史と哲学」の授業を加藤 周一の「科学と文学」(『加藤周一セレクション1』平凡社ライブラリー)をテキストにして、始めている。ここで加藤は、科学と文学を世界認識の方法の両軸において、科学と文学が協力関係にある文化・文明をつくる努力を現在における中心的課題として提示していく。
科学と技術が時代の流れをつくっていく中で、人間の在り方を考える活動が追いつかないという情況は、今日、より深まりを見せている。これは1979年にNHKの市民大学講座で語られたもの。専門用語を廃し、〈知る〉〈信じる〉〈感じる〉という三つの動詞をキーワードにして、世界認識モデルを語っている。
私はこれを現在に生きる平均的日本人という位置からの哲学と見立てて、受け継いでいきたいと考えている。郷冨佐子記者のコラムは、まさに現在進行形の形でこの内容をあつかっている。この時期に、この記事を読めたことは、私の仕事に力を与えてくれた。
加藤 周一(かとう しゅういち 1919年-2008年)日本の評論家、医学博士。上智大学教授、イェール大学講師、ブラウン大学講師、ベルリン自由大学およびミュンヘン大学客員教授、コレージュ・ド・フランス招聘教授、ブリティッシュコロンビア大学教授、立命館大学国際関係学部客員教授、立命館大学国際平和ミュージアム館長などを歴任。哲学者の鶴見俊輔、作家の大江健三郎らと結成した「九条の会」の呼びかけ人。
– 6月12日(土曜日)朝刊 朝日新聞
インタビュー 社会学者 佐藤 俊樹
五輪はどこへ 中途半端な国 日本
科学生かせぬ政府 開催リスク示さず 感情的な反対呼ぶ
もう大国でない コロナも五輪も 二兎追えぬ現実
前日にも科学との関連で、この国の政府の立ち位置を問う記事が組まれていた。この国の政府の科学に対する態度が問われている。政府は、経済と結びつく技術に対しての道は開いてきたが、科学が市民の生命の安全に対して懸念を表明しても、それを正面から受け止めないことがわかる。
『コロナの時代の僕たち』を読む
カズオ・イシグロとパオロ・ジョルダーノの本を、早速購入。まず、『コロナの時代の僕たち』(早川書房)を読んだ。昨年の3月に出ており、日本でも4月に出ているので、1年遅れで読んでいるわけだが、これは、今の自分に必要な本だった。〈トランジションへの未知/道〉を考えていくためにも、学ぶことが多い。以下、引用ノートを作ってみる。
ぼくはこの空白の時間を使って文章を書くことにした。予兆を見守り、今回のすべてを考えるための理想的な方法を見つけるために。時に執筆作業は重りとなって、ぼくらが地に足を着けたままでいられるよう、助けてくれるものだ。でも別の動機もある。この感染症がこちらに対して、ぼくら人類の何を明らかにしつつあるのか、それを絶対に見逃したくないのだ。〈地に足を着けたままで〉
感染症の流行はいずれも医療的な緊急事態である以前に、数学的な緊急事態だ。なぜかと言えば、数学とは実は数の科学などではなく、関係の科学だからだ。数学とは、実態が何でできているかは努めて忘れて、さまざまな実体のあいだの結びつきとやり取りを文字に関数、ベクトルに点、平面として抽象化しつつ、描写する科学なのだ。そして感染症とは、僕らのさまざまな関係を侵す病だ。〈おたくの午後〉
誰ひとりとして逃れられない、というのは過剰表現ではない。互いに作用しあう人間のあいだをペンで線を引いてつないだら、世界は真っ黒な落書きのかたまりになってしまうだろう。2021年の今や、どんなに俗世と隔絶した暮らしを送る隠者さえ、最低限のコネクションを割り当てられる。数学のグラフ理論的な表現をすれば、僕らが生きているこの世界は、きわめて多くのつながりを持つひとつのグラフなのだ。ウイルスはペンの引いた線に沿って走り、どこでも到達する。〈誰もひとつの島ではない〉
空の旅はウイルスの運命を大きく変え、従来よりはるかに遠い大地を、ずっと速く征服できるようにした。だが、移動手段は飛行機だけではない。鉄道もあれば、バスもあり、乗用車もあれば、今では電動キックボードまである。同時にさまよう75億の民。まさにそれこそがコロナウイルスの交通網なのだ。速くて、快適で、津々浦々まで張り巡らされた、まったく僕ら好みのネットワークだ。感染症の流行時は、人類の有能さが人類の不幸の種ともなる。〈飛ぶ〉
環境に対する人間の攻撃的な態度のせいで、今度のような新しい病原体と接触する可能性は高まる一方となっている。病原体にしてみれば、ほんの少し前まで本来の生息地でのんびりやっていただけなのだが。森林破壊は、元々人間なんていなかった環境に僕らを近づけた。とどまることを知らない都市化も同じだ。多くの動物がどんどん絶滅していくため、その腸に生息していた細菌は別のどこかへの引っ越しを余儀なくされている。・・・・そんな時、ぼくたち人間に勝る候補地がほかにあるだろうか。
こんなにたくさんいて、なお増え続ける人間。こんなにも病原体に感染しやすく、多くの仲間と結ばれ、どこまでも移動する人間。これほど理想的な引っ越し先はないはずだ。〈引っ越し〉
ウイルスは、細菌に菌類、原生動物と並び、環境破壊が生んだ多くの難民の一部だ。自己中心的な世界観を少しでも脇に置くことができれば、新しい微生物が人間を探すのではなく、僕らのほうが彼らを巣から引っ張り出しているのがわかるはずだ。・・・・COVID-19とともに起きているようなことは、今後もますます頻繁に発生するだろう。なぜなら、新型ウイルスの流行は一つの症状にすぎず、本当の感染は地球全体の生態系のレベルで起きているからだ。〈あまりにたやすい予言〉
現在の膠着状態は甚大な損害を生むだろう。失業、倒産、あらゆる業界における景気低迷。誰もがそれぞれの難題の山とすでに取り組み始めている。僕たちの文明が、スピードを落とすことだけは絶対に許されないようにできているためだ。ただ、今度の流行のあとで何が起こるのかの予測は複雑すぎて、僕にはとても無理だ、降参する。その時が来たら、変化をひとつずつ、受け入れていきたいと今は思っている。
旧約聖書の詩編代九十編にひとつ、このところ僕がよく思い出す祈りがある。
われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。〈日々を数える〉
僕には、どうしたらこの非人道的な資本主義をもう少し人間に優しいシステムにできるかも、経済システムがどうしたら変化するのかも、人間が環境とのつきあい方をどう変えるべきなのかもわからない。実のところ、自分の行動を変える自信すらない。でも、これだけは断言できる。まずは進んで考えてみなければ、そうした物事はひとつとして実現できない。〈あとがき〉
佐藤 俊樹(さとう としき 1963年-)は、日本の社会学者。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻教授。専攻は比較社会学、日本社会論。組織学会高宮賞受賞。
〈科学〉+〈文学〉+〈情況〉+〈生活〉へ
ぼくがジョルダーノの本を、自分にとって必要な本だと思ったのは、一人の普通の市民として語っている語り口が、今の僕たちトランジションへ向けて準備しようとしている人間に必要なスタイルではないかと思ったからだ。ここには生活者としての肉声がある。
数学オタクとしての記事も、誰か日本の数学オタクの人が書いたっていい内容だと思うし、ぜひ、そういう人がでてきてほしい。加藤周一は、科学と文学の協力と言っているが、そこに情況と、生きる必要性(単純に〈生活〉ということばでもいい)が合わさることが大切だ。つまり、〈科学〉+〈文学〉+〈情況〉+〈生活〉=21世紀地球民衆力 とでもいうものをみんなで作っていけないだろうかと思う。
この連載が、その試みの一つでありたいと思う。
▼トランジションへのみち 第一回
▼筆者が運営するカフェ
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